震災から1年弱が経ったが、まだまだ復興の兆しが見えない状況のなか、それでも前向きに生きていこうと「FMみなさん(南三陸町災害FM)」で働くスタッフを中心とした地元有志と全国の仲間で構成された「チームわかめ」により復興イベントが開催されました。 イベント・レンジャーズも社員一丸となり「チームわかめ」の一員として、被災地の方々に少しでも元気を与えたいとみんなでアイデアを出し合い、このイベントを企画・運営し盛り上げました。
南三陸町が新しい一歩を踏み出すための「出発式」として、「津波で結婚式を挙げられなかったカップル」「この機会に改めてきずなを確かめたい夫婦やご家族」「大切な記念写真を流されてしまった方々」のために、「新たな一歩を踏み出すための記念写真」を地元で写真館を営むカメラマンに撮ってもらうというバレンタインイベント。津波で結婚式を挙げられなかった5組のカップルにはステージ上に準備されたウェディングケーキでケーキ入刀もしていただきました。
さらにゲストとして、タレントの「はるな愛」さんも登場し、カップルたちを祝福するとともに、南三陸町にちなんで桃太郎ならぬ特産ウニから発想された「ウニ太郎」を上演しました。「チームわかめ」そして「はるな愛さん」によるコメディ舞台「ウニ太郎」。桃がウニなら、一緒にお供する仲間も南三陸町の特産ワカメ、シャケ、タコ。最後に鬼を退治するのは会場の元気な子どもたち。舞台俳優としても活躍するイベント・レンジャーズの社員も参加し、会場の笑いを誘いつつ大いに盛り上がりました。
最後には、大抽選会も行われ盛況のうちにイベントは幕を閉じました。
震災の影響により日常生活もままならない大変な状況の中でも、多くの被災地の方々がイベント会場に足を運んでくれました。
会場に来てくれた方々が「あの日」に見せてくれた笑顔をヒントに、新型コロナウィルスによる危機も自分たちの意識次第で乗り越えていけるのではないかと、私たちも「新たなる一歩」を踏み出すために次なるアクションを起こしていこうと思います。
2011年3月11日の震災後、宮城県南三陸町の臨時災害FMとしてスタートしたラジオ局「FMみなさん」。ラジオ経験なしでマイクに向かうのは、元サラリーマン、元ダンプ運転手といった町内で暮らす男女9人。まさにゼロからスタートしたラジオ局は、徐々に南三陸町民の心の支えとなっていきました。この南三陸町「出発式」を開催することとなった背景には、震災以来、娯楽がなかった町民にとっての唯一の娯楽であり、心の糧であった臨時災害FMラジオ局が、2012年3月31日で終了するということがありました。
そこで、町民には悲しい気持ちを乗り越え、未来に向けて「新たなる一歩」を踏み出してもらおうと開催されたイベントが「南三陸町出発式&おたのしみ抽選会」。「FM みなさん」のスタッフとリスナー、南三陸町の一年間を追ったドキュメンタリー映画「ガレキとラジオ」で監督を務めた博報堂クリエイティブ・ディレクター梅村太郎さんを中心に企画されました。
イベントで上演されたコメディ舞台「ウニ太郎」は、なぜ桃太郎ではなく「ウニ太郎」だったのかというと、南三陸町は漁業で有名な町ですが、津波の影響で将来漁師の担い手となる地元の子供たちにとって「海は怖い存在」となってしまったので、その気持ちを払しょくしてもらいたい、「海は怖くないよ」というメッセージを伝えたいという想いがあったからです。
子どもたちに分かりやすくコメディタッチな演出にしつつも、南三陸町の将来のためを考え、強いメッセージを込めた舞台でした。そのメッセージが届いたのか、舞台後半では会場にいた全ての子どもたちが舞台に上がってくれました。私自身、そして現場にいた社員全員が、リアルなイベントの持つ力を再認識した瞬間でもありました。
また、イベント前日に南三陸町周辺の校庭に仮設住宅のある中学校や病院・養護施設を見学した際、下校中の地元中学生が元気に挨拶してくれたこと。コンビニで買い物した際、店員のおばさんに「明日のイベント、子どもたちと観に行くからね!」と楽しそうに笑顔で声を掛けてくれたこと。被災者の方々に元気を与えに行こうと意気込んで東京から旅立った僕らが逆に元気をもらった瞬間でした。
いま振り返ると「南三陸町出発式」により、私たちも「新たなる一歩」を踏み出せたのではないかと感じています。このイベントを通して、改めて「イベント」の持つ力を再認識し、イベント会社であるということを強く主張すべきだと感じ、社名をイベント・レンジャーズに変えました。私たちが掲げるビジョン「100年残る1秒を」の原点は、この経験にあると思いますし、あの日にイベントに参加してくれた子どもたちに伝えた想い、ぼくらの残した「1秒」が伝わり、南三陸町の漁師として活躍している子がいたら幸いです。